声明・アピール

     2007年

「岸和田古城跡」の破壊に抗議し文化財の保存・活用を求める要望書(2007.11.15)

 いわゆる「岸和田古城跡」について、当会ならびに地元の「岸和田古城跡を考える会」の強い要望、5800名にのぼる要請署名にもかかわらず、岸和田市当局が公有地化などの有効な対策をとらず、遺跡を残すことができなかったことはきわめて遺憾です。

 大阪歴史学会では、岸和田古城は14・15世紀にわたって存続している蓋然性が高く、その展開の上に現岸和田城の築城がなされると考えられることから、「岸和田古城跡」が岸和田の原点ともいうべき遺跡であると主張してきました。発掘調査においても土塁積土等に含まれることが確認された14世紀の遺物は、発掘調査地点の東南にあった古城の居館部にあたる郭に由来するとみるのが妥当であろうとみております。しかしながら、岸和田市教育委員会においては、15世紀後半の築造と確定した発掘された郭のみの評価に終始し、岸和田古城全体をどのように意義づけるのかについて、ついに言及されませんでした。

 結果として、岸和田発展の礎であったと考えられる重要な遺跡を失うにいたったことは、とりかえしのつかない残念な事態であり、この間の岸和田市の判断や対応には大きな過誤があったと言わざるをえません。この事態を岸和田市として重く受け止めるとともに、「岸和田古城跡」の顕彰、今後の岸和田古城跡の調査・保存、さらには岸和田城も含めた文化財の活用のため、以下のことを要望します。

                      記

 1.遺跡の所在地の一画に、岸和田古城の説明板を設けること。説明板の仕様について、当会ならびに「岸和田古城を考える会」と相談すること。

 2.発掘調査報告書を刊行するとともに、そのなかで、岸和田古城全体の評価、中世後期における古城の位置づけについてまとめること。

 3.住宅地の下になお遺存すると考えられる岸和田古城を、埋蔵文化財包蔵地として登録し、今後の調査に備えること。

 4.岸和田城・岸和田城下町の総合的調査を実施し、文化財として一層の活用を推進すること。

 5.重要遺跡の史跡指定を含め、岸和田市として市内の文化財を今後どのように保存・活用していくのか、マスタープランを早急にまとめること。


 2007年11月15日

大阪歴史学会代表委員 藪田貫

〔岸和田市長に送付〕

「岸和田古城跡」の破壊に抗議し大阪府下の城館の調査と保存・活用を求める要望書(2007.11.15)

 いわゆる「岸和田古城跡」について、当会ならびに地元の「岸和田古城跡を考える会」の強い要望、5800名にのぼる要請署名にもかかわらず、岸和田市当局が公有地化などの有効な対策をとらず、遺跡を残すことができなかったことはきわめて遺憾です。

 大阪歴史学会では、岸和田古城は14・15世紀にわたって存続している蓋然性が高く、その展開の上に現岸和田城の築城がなされると考えられることから、「岸和田古城跡」が岸和田の原点ともいうべき遺跡であると主張してきました。発掘調査においても土塁積土等に含まれることが確認された14世紀の遺物は、発掘調査地点の東南にあった古城の居館部にあたる郭に由来するとみるのが妥当であろうとみております。しかしながら、岸和田市教育委員会においては、15世紀後半の築造と確定した発掘された郭のみの評価に終始し、岸和田古城全体をどのように意義づけるのかについて、ついに言及されませんでした。

 結果として、岸和田発展の礎であったと考えられる重要な遺跡を失うにいたったことは、とりかえしのつかない残念な事態であり、この間の岸和田市の判断や対応には大きな過誤があったと言わざるをえません。戦前、大阪府が文化財として認定して石柱も建てていたにもかかわらず、史跡として未指定であったことが最大の問題点であったと考えます。

 「岸和田古城跡」の破壊は、岸和田市のみならず大阪府の文化財保護行政の問題も浮き彫りにするものであったと考えます。すでに全国では1980年代から都道府県単位の城郭詳細分布調査が行われてきましたが、大阪府では未だ実施されておりません。分布調査を行った多くの県では、中世城館を見直す気運が高まり、それらを核とした町づくり運動が実現しています。近隣でも、滋賀県・兵庫県などでは、県教育委員会が積極的に中世城館の保存、史跡化の政策を進めているところです。

 「岸和田古城跡」が保存できなかった背景には、大阪府がこうした調査を実施せず、中世城館の意義・重要性についての認識を高める努力をしてこなかったことがあると考えます。

 ついては、大阪府が、今回の「岸和田古城跡」の破壊を真摯に受け止め、府下城館の分布調査に早急に着手するとともに、その保存・活用に積極的に取り組むことを強く要望します。


 2007年11月15日

大阪歴史学会代表委員 藪田貫

〔大阪府教育委員会委員長に送付〕

楠葉台場跡等の保存に関する要望書(2007.11.5)

 枚方市中之芝の楠葉台場(砲台、関門とも)跡は、日本唯一の河川台場の遺跡であり、幕末における京都守護を目的として、対岸の高浜台場とともに設置されたもので、全国的にも注目される貴重な遺跡と考えられます。男山丘陵西側の楠葉地域の地勢的役割をよく示しており、北河内の枚方市であるからこそ存在する歴史遺産と言えます。

 すでに『日本城郭大系(第』12巻、1981年)において、顕著に残る凹部が台場西側の堀跡と認識されていましたが、近年、京都府立総合資料館所蔵「川々御普請定書」中の「河州交野郡楠葉付関門絵図一分計」(設計図)との突き合わせにより、台場跡の痕跡が耕地の地割によく残っており、ほぼ遺跡の範囲が特定されるに至っております。

 京都府八幡市の橋本駅前から、この台場跡のある枚方市北端部の開発は、以前よりの懸案となっていたようですが、最近になって、台場跡を含む区域において区画整理事業が計画されていると聞き及んでおります。計画区域に接して奈良時代に行基が開いたとされる久修園院の現境内地があり、事業計画地内にかつての寺院跡の範囲がおよぶことも十分に予想されます。

 楠葉台場跡および久修園院跡は、ともに枚方市にとって重要な歴史遺産であり、将来にわたって保存を図るべきものと考えます。この二つの重要な遺跡が、史跡として未指定のため今回の区画整理事業の計画範囲に含まれたため、その十全な保存がなされるかどうか懸念を抱かざるをえません。

 ついては、枚方市当局におかれましては、この両遺跡の歴史的意義を十分にふまえ、その保存に積極的に取り組んでいただきますよう、強く要望します。


 2007年11月5日

大阪歴史学会代表委員 藪田貫

〔枚方市長、枚方市文化保護審議会会長、大阪府教育委員会教育長、文化庁長官に送付〕

岸和田古城の保存に関する要望書(2007.5.31)

 「岸和田古城跡」の保存について、大阪歴史学会では昨年11月7日付で要望書を提出し、また地元の「保存を考える会」と連携し、12月から本年3月までの4回の市民シンポジウムに協力してきました。このシンポジウムを通して、南北朝期にさかのぼるこの古城が、平地の大規模な城跡の一画であること、地域のかなりの権力者の居城であったと推定できることと、現在地に岸和田城が築城される以前には、古城川沿いに人々の居住があった可能性が高いことが考えられるようになりました。城跡の内容はまだ不明な点もあり、その構造や存続期間など慎重な吟味が必要ですが、この古城跡が中世を通して地域の拠点として機能し城郭としての発展を遂げ、これを前提に16世紀前半と考えられる現岸和田城の築城にいたるという展開が見通されるにいたっています。

 以上のように、古城跡の性格や重要性は一層明らかになり、現在の岸和田の出発点となる遺跡として、岸和田にとって何ものにもかえられない貴重な遺跡であることは明白です。本来は指定史跡として将来にわたって保存すべきものであり、これが開発により破壊されることは、大阪府・岸和田市の文化財行政の失態としか言いようがありません。このまま記録保存の発掘調査を経て破壊されるほかないのでしょうか。

 大阪府・岸和田市当局も保存の道を探ってこられたようですが、結局のところ、財政事情もあり、現状では難しいとの判断に変わりなく、記録保存の調査に至ったことはまったく遺憾であります。関係機関には、なお保存の道がないのか探ることとともに、以下の点について強く要望します。
 なお、要望点について書面による回答をいただきますよう、お願い申し上げます。

                  記

1.開発行為に対して必要十分な発掘調査を実施すること。

2.遺跡の重要性に鑑み、城郭専門家による十分な指導体制を整えること。

3.遺跡に対する市民の関心は高く、マスコミへの情報提供や現地説明会の実施はもちろん、調査成果を広く市民に公開すること。

4.重要な遺構・遺物が出土した場合、開発業者と保存協議をおこなうこと。


 2007年5月31日

大阪歴史学会代表委員 藪田貫

〔岸和田市長、大阪府教育委員会教育長、文化庁長官、開発業者社長に送付〕


「岸和田古城の保存に関する要望書」について[回答](2007.6.28)

 岸和田の地名との関わりが深いということで、多くの団体から保存についての要望書が出されていますし、約5,800名にのぼる署名をとおして市民の声も頂いています。

 本市としましては、市民の声を重く受け止め、また遺跡の重要性を鑑み、文化庁・大阪府教育委員会とも協議を重ね、遺跡の保存についての方策を探ってきましたが、結果的には記録による保存という方法を取らざるを得ない状態になったことはご承知のとおりです。その後も、なお保存の道がないかと探ってまいりましたが、現状では従来の判断と変わりがない状態です。
 2007年5月31日付で頂きました「岸和田古城に関する要望書」にあります要望点について、次のとおり回答します。

「1.開発行為に対して必要十分な発掘調査を実施すること。」については、4月23日から7月21日までの予定で発掘調査を実施していますので、調査に必要な期間は確保できたのではないかと思います。

「2.遺跡の重要性に鑑み、城郭専門家による十分な指導体制を整えること.」については、必要に応じて、城郭専門家の指導・助言を頂くことも考えています。

「3.遺跡に対する市民の関心は高く、マスコミヘの情報提供や現地説明会の実施はもちろん、調査成果を広く市民に公開すること。」については、マスコミへの情報提供や調査成果の公開は行いたいと考えています。また現地説明会につきましては、第三者の現地立入について、事業者の承諾が必要となりますので、協議を行ってまいります。

「4.重要な遺構・遺物が出土した場合、開発業者と保存協議をおこなうこと。」については、状況を見極めながら大阪府教育委員会の指導・助言を受け、事業者と協議を進めていきたいと考えています。

     2006年

岸和田古城の保存に関する要望書(2006.11.7)

 「岸和田古城跡(岸和田市野田町)」は、14世紀に和田高家(たかいえ)により築城された城の遺跡であると伝承されてきました。本年8月、初めて発掘調査がなされた結果、堀と土塁がよく残り、城内の様子についても一部確認されました。城跡からは15世紀前半の遺物が出土し、築城は14世紀後半にさかのぼるとみられています。

 現在、この「岸和田古城跡」において宅地開発が進められようとしています。新聞報道によれば、岸和田市当局は保存は難しいと判断しておられるようであり、このままでは記録保存として取り扱われ、遺跡は破壊される方向で進むものと思われます。

 江戸時代には、「岸和田」という地名は、「岸の和田殿」に由来するとの説が有力になります。実際、現在の岸和田城および城下町に先行する中世の城(館)や関連遺跡があったことは、近世史料や地名、城下からの中世遺物の出土により確かめられており、その解明は岸和田市の歴史を明らかにするために不可欠です。残念ながら中世の遺構の大半は市街地の下に埋もれていますが、そうしたなかで、今回調査された「岸和田古城」は、中世の様相をとどめる唯一の貴重な遺跡です。

 岸和田発祥の地として地元で長らく伝承されてきたこの「岸和田古城跡」は、岸和田市の原点ともいえる特別な意味のある遺跡であり、岸和田市民が次世代に継承してゆくべき、かけがえのない遺産です。また中世の平地城館の跡がまとまって残っている例は大阪府下では希有であり、学術的にもきわめて重要です。
 以上のような見地から、この遺跡の保存について以下の点を要望します。

                   記

1.遺跡の内容確認の追加調査を実施し、その成果にもとづいて、開発事業者と協議して保存の方向を探ること。

2.現存の岸和田城跡(大阪府史跡)の前身となる中世の城(館)跡として、一体としての保存をはかり、史跡指定による恒久的な保存・活用方策を検討すること。


 2006年11月7日

大阪歴史学会代表委員 藪田貫

〔岸和田市長、岸和田市教育委員会教育長、大阪府教育委員会教育長、文化庁長官に送付〕